2014年3月1日土曜日

登文医研たより 952 ネット依存の人々

 「登文医研たより」は、親や教師やメンタルフレンドのために書いているものです。
 日常的に社会参加していない人、当事者は読まない方が良い場合が多々あります。なるべく読まないで下さい。


以下の「登文医研たより」は3月1日午前8時過ぎに更新しました。


登文医研たより 952  ネット依存の人々

登校拒否文化医学研究所 高橋良臣  HPは研究所名か高橋良臣で検索可能 

はじめに以下の文章は理解しやすくするために汎用語を用いる。一部差別用語と勘違しないで欲しい。

 人間には成長と共に獲得するべき生きるための内容が増えてくる。生まれたばかりの頃は、母親に依存しているだけでも生きていくことはできたのに、成長と共に、次々に獲得しなければならない内容が増えてくる。

 最も重要な内容は対人関係の獲得である。並行して言葉の獲得も大切である。

 成長と共に、より多くの生活技術の獲得も必要になる。さらに、社会性と言う所属する社会に適応していくための諸々の質的内容も必要になる。これらは、主に親からのしつけや練習によって得られる。しつけや訓練を総合して、教育を受けることで組織的に獲得するべき内容の充実を推進している。

 獲得しなければならない課題(学びや練習)が増えてくれば、発達課題の獲得のために費やす時間も増えてくる。ある特定の時期には、学びや練習時間が多くなり、自分で自由に使える時間が、ほとんどないこともある。特に、試験前や、大学等の入学試験期や、国家資格受験期や、大きな大会や、試合の前には、遊ぶ時間も睡眠時間も削って、学びや練習をする。練習し鍛錬することや受験勉強も、人生にとって、生産性がある活動である。将来に向けての訓練や学びに熱中することは、少なくても依存ではない。ゲームやネットのように、無為な時間潰しの非生産的活動とは区別しなければならない。

 ゲームやネットに熱中する人間にも言い分はある。ゲームやネットで学んでいると主張するが、詭弁である。彼らは生産活動をしていないから、生産性とは無関係な、ほとんど遊びとして、ネットやゲームを、時間潰しに使っている。

 私は、文章を書く事が多い。時々分らない事があると、ネットを使って調べる。辞書代わり百貨事典代わりに使っている。仕事上、有意義に使っている。あり余っている時間潰しに使っているわけではない。もちろん国語辞書や専門的な事典を紐解くことも多い。

 かつて、不登校や引きこもりの子供に、1日にゲームに費やす時間を訊いた事がある。多い子供の場合10時間前後あった。少ない子供でも3時間前後はあった。理由は「他にやる事がないから」であった。実際には、他にテレビを観る時間も、平均で1日に2時間以上はあった。ほとんど「暇つぶし」にテレビ、ゲーム、パソコン(PC)を用いていた。

 学校へ行かず、外出せず、人とも会わなければ、1人で出来ることは、ゲームやネットやテレビ観賞と言うことになるのだろう。

 不登校や引きこもりのきっかけとなる、ひどいいじめや回避したい出来事や状況に遭遇すると、子供の場合は、瞬時に、器具的、機械的、道具的な人間性とは無関係な遊びに没頭(依存)する(H.S.サリヴァンの主張。私もH.S.サリヴァンの主張は現代社会でも通用すると思う)。実際に、いじめや虐待などで不登校になった子供の全員が、人間性とは無関係な遊びに没頭する。子供にもよるが、ホラーやオカルトに興味を持つ場合もある。

 例外的に「好きな読書に浸かっていた」と言う高校生もいた。彼は、人と人とのかかわりを回避して、文字と言う無機質的な文書に依存していた。寝食を忘れて本を読んでいて、昼夜逆転生活をしていた。親たちは、そのような不規則な生活を心配していた。

 幸いなことに、文学には人間の心理描写が高尚な文章で表現されているから、不登校だった彼は、カウンセラー(私)とは、会う事が出来ていた。また、図書館に行って、たくさん本を借りてくることも出来た。後に、彼は、後に小説家(文筆家)になった。

 引きこもり、ネット依存の人々の多くは、ほとんどの生活を同じ室内で長時間過すことになる。そのような狭い範囲での単純すぎる生活で、生理的な異常が起こる。彼らの多くは、何らかのアレルギー症状を露わにしていた。また、体力の弱体化を起こしていた。

 背景には運動をしないことによる心肺機能の低下と、脚力の低下がある。自律神経系統の混乱や異常も起っていた。これは、不登校の子供たちにとっては、日常生活の混乱にかかわる根本的な課題になっている。

1・人間は何に依存しやすいか

 時代の流れで見ていくと、最近ではネット依存とかIT依存が多発している。依存している内容は、性的なエロ、あまり信頼できない風評、扇情的な過激なアジテーション、秘密情報などである。自らの心の空白領域に、容易に侵入されている様子が窺える。

 少し前までの依存対象は薬物が多かった。あまり表沙汰にはならなかったが、薬物依存があれば、必ず並行して性依存も多かったはずである。性依存については、日本の一般社会では、今も昔も、あまり表面に出されることはなかった。

 かねてから、教育熱心な親は、子供がテレビやマンガに依存することを恐れていた。その背後には「勉強をしないで、テレビばかり、マンガばかりの生活をしていると、進学で希望の学校に進めない」と言う意識がある。子供がテレビ、マンガに熱中していると、やるべき勉強もせずに、遊びに没頭している(怠けている)と判断する親は現在でも多い。

 しかし、実際には1日にどれくらい学び、どれくらい遊ぶのなら良いのかと言うと、その基準はあってないようなものである。私の記憶では、小学生の頃の夏休みの予定(計画)は全てうまく行かなかった。頭で考え、計画した勉強については、予定の半分も実行できなかった。何をするでもなく、家でゴロゴロ、ダラダラしていたか、友達と遊びまわっていたような気がする。

 私の場合、中学生になっても、頭で考えて作った勉強の計画や予定は、そんなにうまくは実行できなかった。それは現代の子供でも同じだろう。特に現代社会では、テレビもゲームもパソコンも普及しているから、勉強の予定はほとんど計画倒れに終わっているだろう。中学生高学年にもなれば、テレビ、ゲーム、マンガ、パソコン(PC)に対する依存し、先に述べた内容(性的なエロ、根拠がない信頼しにくい風評、扇情的な過激なアジテーション、秘密情報など)に興味関心が高まる時期である。

 私の場合、高校生になって、進路に欲が出て、遅ればせながらも、頭で考えた計画に近い勉強が出来たような気がするが、教師や親はどう見ていたか分らない。私の場合、家でグウタラしていない時には、短距離走の練習に没頭していた。田舎に行った時には、夏は釣り、冬はスキーに夢中になっていた。テレビ番組そのものも少なかったし放映時間も短かった。今日のように子供の射幸心を射る、依存対象となる遊びは少なかった。

 現在では、高校生くらいで、異性との交際(性関係も含む)に熱中する者も増える。身体生理的に早熟すぎる男女が多い。そんな一部の子供の中には薬物依存に走る者もいる。

 かつての薬物と言えば、シンナーとかトルエンのことである。最近では、眠剤や向精神薬や脱法ドラッグの増加が挙げられる。

 今時の高校生なら、異性との性関係などは当然のこととして、平然と語る場合もある。本来恥ずべきことなのに、親の教育がほとんどできていない、一部の恥知らずな高校生が確実にいる。また、社会的な善良さを獲得していない、まるで獣と似たようなレベルのままでいる。人間としての羞恥心を知らない欲望丸出しの高校生がいることも確かである。

 高校生くらいの年齢になると、食に対する依存も増えてくる。摂食障害と言われる人々である。過食、拒食、不健康なダイエット依存が確実に増加している。

 性欲と食欲は人間の欲望の基本的な基盤であるから、この二つの欲望がコントロールできないと、その人の心は、かなり歪むし苦しむ。

 私の時代に限らず、大学生になるとアルコールと異性に依存する者が急激に増加する。派手な女性と腕を組んで歩き、そう言う女性との性関係を誇示する者も中にはいたし、現在でもいる。それも嘘か真(まこと)かは判然とはしないことだが…。

 高校生の場合は、経済的に親に頼っているから、お金に依存する子供はまだ少ない。
 社会参加して、牧師をしていた頃には、世間ではアルコールと異性に対する依存に加えて、様々な薬物依存が増えてきた。そして、ギャンブル依存もあった。このギャンブルは違法ギャンブルのことである。経済的に高収入を得られる時代になると、これらの依存は一般社会にも蔓延する傾向がある。成人した大人であっても、小学生並にマンガ依存に走る者もいる。もしかすると何らかの発達障害があるのかも知れない。

 さらに現代社会ではIT依存を特別に付け加えなければならない。

 本来、ITは生活の利便性に貢献するはずである。ITを用いることで、過去には入手が困難だった情報が容易に入手できるようになった。しかも、秘密裏に入手できる。秘密裏に入手する情報の多くは、表に出せる情報ではない。孤立して、秘密情報の入手に熱中し、その人の生活のほとんどの時間を占領するほどになってしまうと、依存症と言う他はない。依存症に陥ると、健康な市民生活そのものに支障をきたす。

 彼らに共通していることは、まともな生産性がある生活をしていないと言うことである。単なる依存症から、さらにひどい嗜癖にまで悪化する場合もある。それがなければ生きていけない状態である。

 私は、青少年のIT依存が、IT嗜癖にまで悪化している可能性を危惧している。

2・安易なネット依存→表面的で安易過ぎる求め方

 ネットに依存する人々の多くは、対人関係が苦手だと言う人々が多い。PCに向かい、ネットで得られる裏情報を1人で秘かに楽しんでいる。身近にいる人と共に共感するような体験ではない。共感する相手がいたとしても氏素性の知れないネット上の相手である。実存的な相手とは言いがたい。


 対人関係がうまく獲得できないから、ネットに依存するのか、ネットに依存していたから対人関係の獲得に遅れを取ったのかは、判然とはしない。どちらでもあるようだし、どちらでもないようである。いずれにしても、現代社会は、個人を容易に孤立させてしまう環境や状況にある(と、私は思っている)。

 最近、私の家の近辺にもマンションと言う集合住宅が乱立し始めた。私は、そのマンションに住む人のほとんどを知らない。恐らくマンションの住人も、私のことを知らないだろう。知らなくても日常生活には困らない。マンション内部でもお互いは知り合わないようにしているのかもしれない。

 ある時、私の家に郵便物が誤配された。宛て先の住所にはマンションが建っている。そこに行って「この人はここにいる人か?」どうか訊いたが、出てきたマンションの住人は「知らない!」と言って、サッサと出かけてしまった。私の顔が気にいらなかったのか…。仕方なく、私は、その郵便物を、もう一度街の郵便ポストに投函した。
少し古いが、ニヒルに「あっし(私)には、かかわりがござんせん」と言う木枯し紋次郎の科白(せりふ)が思い出されてしまった。

 孤立する人々が多く、高校や専門学校や大学などを終わってしまったら、そこから先の人間関係は途切れてしまうのが現代社会の現実らしい。大震災などが起らない限り、孤立を防ぐ対人関係作りには目が向けられないのかもしれない。

 少なくても地域での対人関係作りは、消極的になっている。小学校や中学校を卒業した人々が、ずっと同じ地域に住んでいるとは科嫌い時代である。

 地域のお祭りにしても、遠方から来たお祭り好きな人間が神輿を担いでいる。「あの人誰?」と訊いても「よその町から来た人みたいだよ…」と言う返答がある。神輿を担いでいる人も、その場限りのお付き合いで済ませているらしい。お祭りが好きなのであって、地域の人との付き合いが好きなのではないと言うことか?…。

 かつて、心のどこかに、人との交際で、不快な体験をした人が多いのかもしれない。不快な体験の克服、取り分け、内面的な克服が出来ていない状態のままに生活している人が多いのではないか。人間不信を抱いたままでいる人が多いような気がする。

 不登校や引きこもりの子供たちも「相手とは深い付き合いをしないようにしている」と明確に言う。「だって裏切られたら嫌でしょ!」と言う。最初から裏切られることを前提にしているのか? 最初から恐れているのか? 彼らの言い分を聞いていると「どうせ食べてもお腹が空くから、食べるのは面倒くさい」と言っているようなものである。

 実際に裏切られるかどうか、いつ空腹になるかどうか、誰も分らない。現実的にそのようになったら対処すれば良いのに! 一々対処するのが面倒くさいと言う。一々、対処する事が毎日の生活なのだが、毎日の生活が面倒くさいといっているようなものである。

 安直なそのような生活だから、ネットに嵌るのだろうと私は推察している。

 一々、人から学ぶのは面倒だ。自分でいろいろと工夫して、出来事に対する理解を深めるなんて、とてもじゃないが疲れてしまうしやる気がしない。自分の知識を増やすために、様々な書籍を紐解くことなどしていられないらしい。それよりも、知りたいことだけをネットで知り得るわけだから、その方が簡単であると主張する。安直過ぎる。

 私は、牧師である。たとえば宗教改革については数年かけて神学を学んだ。ネットで宗教改革を調べても調べ尽くせない情報を、夥しい書籍から学んだ。まだ、学び足りないと思っている。臨床心理士としても多数の文献から学んだ。

 獣医師としてはダニの研究を卒業後にしていた。最近になってウイルス性のダニ熱の報道があった。驚いている。獣医学部を卒業して間もなく開業している時に、猟犬についていたダニから、赤血球や血小板を破壊する何ものか(ウイルス)が存在することを知って治療していた。アメリカから特効薬を輸入して治療効果を挙げた。これについても、夥しい文献を調査して、牛用の特効薬を猟犬用にまで希釈して使った。仮にその頃にPCが普及していたとしても、私は、自分の手で文献を調べて、治療に当たったことだろう。

 私は、その専門分野にかかわる専門家に対する信頼感は人一倍強く持っていた。彼らが書いた文献も信頼できるものとしていた。獣医学にしても、神学にしても、臨床心理学にしても、学術的には信頼していた。いずれも、狭い分野の研究であるから、一般的ではないかもしれないが、ネットに頼るよりも遥かに豊かな情報が得られる。

3・ネット依存の弊害

 ネット情報だけでは、軽薄な知識しか獲得できないと言う欠点がある。怒る人もいるかもしれないが、実際、その程度の知識や情報で満足しているなんて寂しくないか? 出来事の多くは、もっと多くの、もっと豊かな情報を我々に提供している。通り一遍の情報で満足してしまうのは、軽薄ではないか? 私は全ての人がインテリになって博識であって欲しいなどと言っているわけではない。取り分け若い人が、安直にネットに依存して「なんでも分ったつもりになっている」状態を危惧している。それ以上のことを知ろうともしないのは、怠慢な怠惰な人間を増やすだけである。

 たいして努力もせずに得られたモノは、すぐに役に立たなくなるだろう。ネット情報を作る側の人々は、莫大な資料を読み漁り、その中のエッセンスだけを取り出している。そのような作業を永遠に繰り返している。しかも、恐ろしく大人数で情報を作っているはずである。彼らには莫大な知識が蓄積されるが、ネットを利用するものには、その上澄みだけの知識しか入ってこない。確かに、上澄みだけの程度で済まされる社会ではあるが…。

 ネット上では、ある意味で豊かな情報が提供されている。しかし、公序良俗に反する情報も少なくない。裏社会の情報、違法性が高い情報、詐欺情報、売買春情報、とりわけ思春期の性成長が激しい子供達の関心を集める性情報(画像)などは、いくら表現の自由があろうと、何がしかの節度がなければ、ネットは無法状態になる。

 詐欺に遭った人もいた。売春行為をした高校生もいた。罪悪感を抱きながら猥褻画像から目を話せなくなった若い男性もいた。彼は、大学にも行かず、親に隠れて猥褻画像に見入って、いつも卑屈感を抱いていた。気の毒なくらいに自己否定的になっていた。

 ネット依存の弊害としては、長時間イスに座ったままで、PCに向かっていることによって起る生理的な問題も無視できない。腰痛、肩こり、眼精疲労、自律神経系統の不調、それによって二次的に引き起こされる抑鬱状態、その他、多数の問題が起こる。

4・人間の機能は人々と快くかかわることで健康維持できる。

 ネット依存することで、人間は自分の機能の一部しか遣わない生活になる。特に身体機能のほとんどは使わない。筋力の低下、胃腸の不調、頭痛、眩暈、耳鳴り、等々の生理的な不調も起り得る。人間の機能の健全さは、特に心肺機能に頼っている。ネット依存の人々の場合は、その心肺機能が著しく低下する。私が知る限りでいえば、低体温、低血圧、心臓肥大、胃下垂、過敏性腸炎、極端な近視、突発性難聴、食嗜不振、等々具体的な症状として現れている。

 PCに長時間向かっていたら、身体機能は必ず低下すること間違いない。私の知人は、事務所に2台PCを置いて、1つは立ったままで使い、もう1台はイスに座って使うように工夫していた。それでも運動不足は免れないと言っていた。ある人はサイクリングで足腰を鍛えていると言っていたが、週に1度のサイクリングでは運動不足の解消にはほど遠かったらしい。ひどい腰痛に悩んでいた。毎日スポーツジムに通って、2時間程度汗を流していた人は、健康を自慢していた。

 私は、PCばかりをしているわけではないが、イスに座って仕事をしている時間が長い。私は自分の年齢も考慮して、できる限り歩く努力をしている。元々は陸上競技の短距離走をしていたが、年齢を考えて歩くことにしている。それでも、大雪の後、渋滞していた道路を連続6時間30分も運転した後は、足腰が軋んだ。たくさんの人々との面接の後も同様に腰は鈍く痛む。常日頃から足腰を丈夫にしておけば、生理的問題は予防できるだろう。

 私が、仮にネットに依存していたら、もっとひどい症状に陥る可能性がある。元々、白紙状態から、不登校や引きこもりや発達障害や精神疾患の状態を書いていく作業が多いから、いつ妄想的な事態に陥って(埋没して)も不思議ではない。いつ食や性依存(すでに性依存する年齢ではないが…)に陥っても不思議ではない。今のところ、依存症や嗜癖に陥らないのは、出会って感情交流が出来る人々がいるからだと思い、感謝している。

 健全な対人関係によって、依存症や嗜癖は一部だけではあるが克服しやすくなる。この場合、対人関係に向けて、依存が変形する場合もあるから要注意である。相手にことごとく依存しなければいられなくなってしまう状態が起る可能性(危険性)がある。

 現在、ネット依存している人が、人間として自分らしい自分を、かつて感じたことがあるかどうかを訊いて見なければならない。過去に自分らしい自分を感じた事がない人なら、これから自分らしい自分を創るしかない。ないものを探しても見つかるはずはないから、創るのである。何歳になっても、自分創りは出来ると言うのが私の信念である。私は、快い相手と自分創りをしていく内に、ネット依存をも克服できると確信している。