2014年12月25日木曜日

登文医研たより 956  病態レベルが高い(悪い)不登校について
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はじめに以下の文章は理解しやすくするために汎用語を用いる。一部差別用語と勘違しないで欲しい。
 「不登校(引きこもり)は病理性がない」と言う条件が入っている。実際に、病理性がない子供(成人も含めて)がいるのだろうか? 病気と言うほどではないにしても、その特性があることで、日常生活に大きな負担を抱え、苦労している人々は多いと思う。
 不登校や引きこもりの人々の中で、登校できなかったり引きこもりの期間が長引いたりする人々の多くは、恒常的に社会参加している人々と比較すると、本人にとっては、どこかに不都合な特性が存在している。
 たとえば、作業がのろいけれど、世間の社会的常識からはそれほど外れてはいない人の場合でも、慢性的に心に負担を感じる人はいる。他にも重圧がかかって、不登校になり、自分ののろさに挫折を感じていたり、のろさの改善が出来なかったりしたら、不登校期間は長引くことになる。のろさは、多くの場合、その子供の生来の性質気質と連動しているから、急にスピーディな状態に改善されるとは限らない。また、ノロマだから日常生活に支障が出ると言う話を聞いた事がない。その人のペースで生活はできているはずだ。
 運動神経が良くない子供の場合も、学校生活はかなり負担の連続になる。不登校をしたからと言って、その子供の運動神経が急に発達するわけではないから、不登校期間は長引く可能性が高くなる。もちろん、運動神経が良くない人が、その問題で日常生活が送れなくなると言う話は聞いた事がない。運動神経の悪さくらいでは病気とは言えない。
 手先が不器用な子供も、様々な場面で目立ってしまう。注目を集める内容が本人の出来が悪い部分となると、同様に不登校に繋がる可能性が高い。前記と同様に不登校をしたからと言っても、不器用さは簡単に改善されるものではないから、不登校期間は長引く可能性が高い。手先が不器用なために、日常生活を送れなくなった人もいない。しかし、学齢期が終わるまでは、家から出てこなくなることは十分にありえる。
 最も気になるのは「口下手」「無口」「寡黙」な人々である。当然、対人関係は少なく、対人関係の伸展もあまり見られない。他者との関係では、相手との親密感を獲得できていない人が多い。不登校になる子供の多くは、このような状態にあるが、口下手や無口や寡黙でも日常生活を送ることはできている。ただし、不登校になったからと言っても口下手や無口や寡黙が改善されるとは限らないから、不登校が長引く可能性は高い。
 行動がのろい、運動神経が悪い、手先が不器用、言葉遣いが少ない、対人関係が少ないなどは、病気とは言い切れないが、不登校や引きこもりとの合わせ業(わざ)によって、限りなく病態性が悪くなってしまう。
 不登校になって学校を休むことで、改善されるとしたら、一過性の疲労やいじめによる痛手程度であろう。疲労は休息により改善される場合が多い。いじめられた子供は、いじめる子供がいない世界では十分な寛ぎと慰めを得られる。
それでも、他の人々と顔合わせしなくなることで、精神的な伸展は遅れがちになるが、病的な状態とは言えない。
仮にこだわりが強い子供なら、他者とかかわらなくなることで、そのこだわりを改善する機会は減少し、さらに強いこだわりとなる。強迫神経症となる可能性も起こってくる。
何らかの恐怖がある場合も、人と会わなくなることで強迫的な状態に陥る可能性が高くなる。不登校になって人々と関わらなくなることで起る反応である。
特定の科目が苦手で不登校になった子供の場合、その科目については後天的な学習障害のような様相を呈する場合もある。しばしば、英語と数学にその傾向が見られる。科目が苦手であると言うよりは、担当教師が苦手と言う事が真実らしい。
1・不登校になると、病態は明確化する。
 我々は、恒常的に他種多彩な複数の人々と出会い、自分の特性の内、社会性に欠けている部分の修正をしながら生活を送っている。修正や気付きや創造性や獲得と言う出来事は、多種多彩な人々との係わり合いで実現する
不登校生活は、前記のように健康的に社会生活を送っている人と比較すると、極めて不健康な生活になる。不登校になった結果、作り出される不健康状態は数限りない。
①・自分が抱えている問題に気付かない。自己洞察力が低下する。②・自己修正がしにくくなる。自分を変えようとせず、他者を変えようとする。③・自分が内包している問題は一層病理性を帯びてくる。閉鎖的な生活により悪循環する。④・彼らの多くは、日常生活を蔑ろにしているから、現実的な創造性に乏しくなる。もちろん創造性の乏しさには気付かない。⑤・不登校になるとほとんどの子供は身体活動をしなくなる。⑥・生理的なリズムが混乱してくるから日常生活が不規則になる。⑦・夜の睡眠がうまく出来なくなり、ズレ睡眠が続く。昼間にうとうと睡眠をする子供もいる。一回の睡眠時間は細切れ状態になり、スッキリした目覚めは期待できなくなる。⑧・外出の機会が極端に減少し、外部の人々への対人回避傾向が強くなる。家庭内においても、父親や社会参加している同胞を回避する傾向が強くなる。⑨・テレビ、マンガ、ゲーム、パソコンに依存した生活になる。人間性が希薄な道具や器具や機械への依存が激しくなりIT依存状態に陥る。⑩・一緒にいる事が多い母親への依存が強くなる。母親を家政婦代わりにしたり、恋人代わりにしたり、ツレ代わりにする傾向がある。⑪・母親依存する子供の多くは、全般的に退行している。⑫・身体の活動は極端に減少し、一気に老化現象の道を辿る。⑬・不登校状態が長引く子供の身体機能のうち、心肺機能は極端に低下する。後期高齢者なみの機能にまで落ち込む。⑭・会話と対人関係も極端に減少し、知的な活動は停滞するか退化する。⑮・まとまった文章を読む力は低下し、文章の読解力は著しく低下する。⑯・彼らの多くは、「勉強に集中できなくなった」「問題に取り組めなくなった」「考えがまとまらなくなった」等々と言って、困惑する。学習性無気力状態に陥る。⑰・精神的な活動も矮小化する。自分の進路や将来にかかわる現実に対する検討を回避している。自分自身の現実的な問題に取り組まず、自分には直接関係ない問題や出来事に対する批判や論評に視点を向ける傾向が強くなる。隣の人に対する気配りや仲間に対する発言などは、ほとんど見られない。⑱・精神的な活動と言えるかどうか、明確には言いがたいが、観念論的な理想論や宗教などには興味や関心を向ける。しかし、その理想論や宗教論が、その子供の精神的な成長に繋がるかどうかは、その子供とかかわる相手次第となる。
おおよそ、以上のような経緯で、不登校状態が長引けば、それだけで何らかの異変が子供の心身には起こる。実際に、不登校になるからには、学校へは行きたくない現実(出来事)が起っていて、精神的な行き詰まりと身体的な息詰まりが起り、全生活において停滞が起っているわけである。それが前記のようなものとして現れる。
子供の場合でも、日常生活で停滞が起れば、その子供の弱い部分や劣化している部分の落ち込みは一層ひどいものになる。成人の場合でも同様だが、使わない機能は一層萎縮する「無用性萎縮」現象が起る。不登校の子供は、対人関係で気を遣うことなく、家庭内で好き勝手をしていたわけだから、対人関係の気遣いはかなり強い無用性萎縮を起こしている可能性がある。外部では一時的に神経を遣って過すことはできても、長期間の気遣いはできない。しまいには、ブチ切れて、家庭内乱暴、家庭内暴力に及ぶ場合が多くなる。
一般的には、不登校に至った負荷(圧迫)の強い出来事(重圧)による反応が肥大化して、全生活領域に悪影響を及ぼしてくる。
不登校児童・生徒、引きこもりの人々の病態レベルは、総合的な経過から見ていかなければ、病績学で言う所の病態が、どうのこうのとは言えないであろう。
2・不登校期間が長くなれば、病態は悪化する。
 不登校生活や引きこもり生活が長引くことで、病理性が露わになってきた子供や人々は、その後にも続く不登校や引きこもりで、その病理性は悪化する傾向がある。
病理性が悪化すれば、不登校も引きこもりも、文部科学省や厚生労働省が言う、「病理性がない状態」からどんどん離れていく。
不登校や引きこもり状態が長引けば「はじめに」の項でも触れたが、神経症(恐怖症も含む)や精神疾患傾向が露わになる。依存症レベルにも到達する子供もいる。
IT機器の普及でIT漬けとなり、子供たちはIT危機に異常に接近してしまう傾向が強くなる。幼稚で単純で社会経験が少ない人ほどIT依存傾向は強くなる。大人なら、アルコール依存や薬物依存や性依存となる状態と酷似している。現実の社会をみると、大人(親)でも子供と同様にIT依存に陥る人々がいる。
「先生、ご飯食べに行ってもいい?」と携帯電話で問合せしてきたのは小学5年生の子供である。「どうしたの?」、「ママがゲームに夢中になっていて、朝からご飯作ってくれないの…」、「それは困ったなぁ…。ママにはチェリーの家に行くと書置きしておいで」と伝えて、我が家で食事を摂った。このママは完全にIT依存で、過去には薬物依存もあった人である。父親は、未だにアルコール依存であり、妻(子供の母親)へのDVもあり、子供の生活をみる親はいなかった。ひどい話だが、そのような家族もある。
この親たちも学齢期には、長期間の不登校傾向があったと言う。話を訊くと知的レベルにも問題を感じたし、対人関係にも伸展はほとんどなく、精神的には極めて幼稚な人たちだった。この親たちは、社会参加もスムーズには出来にくかったと思われる。この親たちに育てられていた子供も、小学3年生から不登校状態にあり、関係者が連携してかかわっている。生活の面倒を見る人は私しかいないから、私の所に支援を求めてきた。
このような観点から、観察していくと、最初から病態レベルが悪い不登校や引きこもりの子供はいないのではないか? 病態レベルの悪さや病理性の悪さは、後発的に関係や環境や状況によって創られているように、私は考えられる。
最初から病理性や病態レベルが悪ければ、その病気は特定されて、医療の治療システムに乗せられるから、けっこう、先読みが出来る。
不登校や引きこもり状態に陥った時、あるいは、その直前までの状態が、健全であれば、なかなか、病理性や病態性は発見されにくく、かかわりに手間取ってしまう場合もある。手間取っている間に、病理性や病態性があからさまになってくる場合もある。
もしかしたら、正常な人であると思われる人々の心の底にも、その病理性や病態性は、表面化しないままに、潜んでいるのかもしれない。
我々の心の底には、本人が知らない病理性や病態性がかなり潜んでいる可能性はある。深層心理家や精神分析家によれば、その可能性は十分にありえることになる。我々は、社会参加して、自己が内包している病理性や病態性を上手に鎮めている可能性もある。
小説家や文学者たちは、そのように人間の精神の奥底に潜んでいる心模様をうまく描写している。我々は、小説や文学を読んだ時に、作者の描写した内容と同じような意識があることに、ふと気が付く場合もある。
不登校や引きこもりになった結果、生活が単純反復状態に陥れば、多くの人々は自分の人間としての機能を持て余すことになる。
自分の機能や能力を持て余していると自覚できる人は、何とかしようとして、心の健康度を維持できるだろう。気がつかない人は、単純反復生活によって、1の項で述べた①から⑱(もっと多くあると思う)に記したように、様々な反応に苦しみ困惑する。
単純反復生活の連続が続くと、人間は抑うつ的な状態に陥るし、強迫的な状態にもなり得ることは、良く知られている(実験心理学の人々の業績)。
不登校や引きこもり生活が、その人の特性を劣化し、社会性を失わせ、精神的なレベルを悪化させることで、病理性や病態レベルの悪化が起る。注意したい。
3・言葉遣いと対人関係の成長
 不登校や引きこもりを長引かせることは、一般的には好ましくない。その子供の不登校や引きこもりになる経緯をみると、その子供にとっては、必要な不登校や引きこもりもある。不登校や引きこもりをすることによって、心の構造の破壊を免れたり、身体的な休息を取ることができたり、自分が所属する社会を冷静に見直す事が出来たり、家族関係の再構築が出来たりする場合も少なからずある。健全な防衛的不登校もあると言うことだ。しかし、その子供の成長にとってプラスになるような不登校は圧倒的に少ない。
 いつも時間に追われた生活をしている私には、しばしば落ち度が浮かび上がってくる。本当はゆとりが必要なのだが、社会拒否でもしない限り、時間的なゆとりはできない。
私は、子供達の食事を最優先しているものの、締め切りが迫った原稿を書いていると、食事のことを忘れてしまう場合がある。お釜のご飯がないのに気付かない場合もあった。いざ、食事にしようとお釜の蓋を開けて愕然としたこともあった。
特に、日程調節では、しばしばダブルブッキングがあり、あとから担当者に修正をお願いする始末である。相手の希望に沿うように過密な日程を組んでしまうからだ。恐らく、不登校や引きこもりになる子供達にも似たような傾向はあったものと思われる。
我々は、身近にいる人々と、いつも言葉を交わしていたい。全てを1人きりで遣りこなしてしまうよりは、身近にいる人々と、言葉を交わしながら共同作業をするように心がけたい。共同作業をするからには、常に言葉かけが必要である。私の場合、私の家にいる大人は私一人である。どうしても1人で作業を片付けてしまう傾向がある。本当は、周囲にいる子供も巻き込んで、言葉を交わしながら家事を遣れば、もっと良いと思っている。
言葉かけは、語彙数が豊かであればあるほど、相手に自分の気持ちを伝えやすくなる。語彙数が多いだけでなく、遣われている言葉の理解や解釈の仕方が豊かでなければ、単なる記号や信号のような味気ない言葉になる。
我々が用いる言葉には情感が含まれている。その情感を伝えるのに多彩で多様な言葉の言い回しができなければならない。多彩で多様な言葉遣いで、自分の気持ちを伝え、相手が遣う言葉をふくよかに理解し解釈が出来れば、対人関係は豊かな方向に伸展する。それが、自己の精神の成長に繋がる。
「はじめに」の項で述べた、口下手、無口、寡黙な人々の場合、彼らの相手理解は、どの程度なのか掴みようもない。どこまで信頼関係ができているのか分らない。こちらは信頼しているつもりなのだが、相手がこちらを信頼しているかどうかが分らない場合、そこには不信感が漂い(滲み)出てくる。
不登校や引きこもりになっていく子供たちの場合、確実に口下手で無口で寡黙な傾向がある。語彙数が少ないわけではない。アスペルガー症候群の子供達のように、対人関係が極端に悪いわけではない。言葉の遣い回しがうまく出来ない。相手から出てきた言葉については、遣われる時と場合によって意味は異なるはずだが、そのように融通がきく理解や解釈が手際よく出来ない。これは、対人関係を豊かに獲得していくためには不利である。
不登校や引きこもりの子供達の言葉に対する理解や解釈は、極めて直線的である。真っ正直であり、素直すぎであり、ゆとりや余裕がない理解や解釈をする。言葉を遣った相手は、不登校や引きこもりの子供の、そのような態度を見て、窮屈さを感じる。内心「気持が通じないなぁ」、「どのように伝えたら分ってもらえるかなぁ」等々と困惑し悩む。
不登校や引きこもりの子供たちは知的には遅れはないと言われている。精神的にも障害はないと言われている。しかし、言葉の遣い回しとか言葉のふくよかな意味とか解釈の経験は極めて乏しい。せっかく周囲の人々と会話の体験をしても、経験として心に積み重ねる事ができていない。体験を経験として心に積み重ねる事が出来ない理由には予期不安や前象徴的不安が強いことに関係していると、私は考えている。
不登校や引きこもりの子供たちは、口下手で無口で寡黙だから、対人関係に、はかばかしい伸展が見られない傾向がある。対人関係の伸展が思わしくないから、言葉を相互に交わす体験が少なかったのだろう。言葉を使う機会が少なければ、言葉の遣り取りから得られる社会的経験の不足が起る。不登校や引きこもりの子供たちが同世代の子供たちと比較して未熟に見えてしまうことは、この様な出来事に由来している(と私は考えている)。
4・不登校や引きこもりの子供の病理性や病態性とは
 彼らの多くは、予期不安や前象徴的不安が日常生活の中で先行している。まだ、起ってもいないことに不安を感じる。形骸化していない不安に苦悩する。ひどい場合には不安神経症のような事態に陥る。小学生低学年の子供なら「ママ、買物に行かないでよッ!」と言って、母親(家族)が日常生活にも困るほど、母親から離れられなくなる。
 食前やトイレ後には手を洗うが、いつまでも手に黴菌が付着していて奇麗にならないような不安があり、何十分でも手洗いを続ける子供もいる(もちろん大人もいる)。恐らく不潔恐怖にもなっているのだろう。こだわりが強すぎる子供にはありがちな不安である。
 誰かに見られていると思う子供とか、人の目が気になる子供も少なくない。彼らの多くは「誰からも変な目で見られたくない」と言う強い思いに支配されている。特別に身近な人々には変な目で見られたくない気持ちは分る。しかし、誰からもとか道ですれ違う人からも変な目で見られるのを嫌がり外出できなくなるのは、病的である。
身近な人であっても、相手がどのように思うか等は、自分の意思でコントロールできない。相手がどう思うかは、相手に任せて置けばよい。相手の気持ちまで自分の思う通りにしたいと言う見当違いをしている子供が不安を強くしている。自分は自分で最良の状態でいる人々が多いはずである。相手がどのように思おうと自分は自分である。
不登校や引きこもりの子供は、恥を絶対にかきたくないと強く意識しすぎている。自分の言動が恥となるかどうかは、自分の意識次第である。自分の間違いや失敗などを目撃した人々は、自分を軽蔑し愚か者であると思うに違いないと強い不安を常に抱いている。
「とにかく早い者勝ち」、「人を押しのけてでも獲得した者が偉い」等々と言う露骨な精神を持っている者にとって、恥などと言う高尚な精神はないに等しい。恥は性成長期に強くなる大人としての基本精神である。日本人に特有な恥は、日本の精神文化であるが、恥が不安と連結すると病的になる。そのような不登校や引きこもりの子供が多い。

日常生活が恒常性を失う場合、一般的には慢性疾患があると考えられている。慢性疾患がある場合、甲状腺ホルモンの一部、副腎皮質ホルモン、成長ホルモンなどの分泌異常が見られる。事実、不安が強い不登校や引きこもりの子供達の過半数にも、そのような病的な内分泌異常はあったが、たいがいは一過性であった(高橋らの調査)。しかし、実際に不登校や引きこもりになる子供達の中には、膠原病や慢性腎疾患や肝疾患にかかっている子供もいた。不登校や引きこもりであっても、病理鑑定は確実に実施してもらいたい。